さて、最近は空いている時間を、本棚の本の自炊にほとんど費やしているため、ブログの更新もままならない毎日が続いています。というわけであまり更新できてなくてすみません(^^;)。
逆に言うと、キヤノン DR-C125 を使った自炊作業は極めて順調です。
Canon imageFORMULA DR-C125
カール事務器 ディスクカッター DC-210N
最初の頃、苦労したジャミング(紙がくしゃくしゃになる)も、長辺を横にして回転読みとりをさせるようにしたらほぼ解消しましたし、カラーの本で文字がかすれてしまう現象も、詳細設定で裏写り消去のレベルを下げることで大幅に改善し、カラーの本でも読むのに問題ないレベルでの読み取りができるようになりました。
最初にとりかかっていた文庫本・新書本の取り込みは終わり、現在は単行本の取り込みに取り掛かっています。
ただ、単行本は半分くらいハードカバーで、このハードカバーを取り除くのが一苦労…。
手でバリバリとはがしていますが、そのうちケガをしそうです(^^;)。
また、スキャン枚数が10万ページ弱まできたところで、スキャナのフィーダーのゴムローラーがすべるようになり、まともに読み取れなくなってしまいました。
仕方ないので、交換品のゴムローラーを購入です。
DR-C125用 交換ローラーキット
価格は4000円くらいです。
まあ…高いといえば高いんですが、実はもう1つの自炊スキャナの雄であるScanSnapはもっと消耗品が高いという噂もあるので、こういうビジネスではこのくらいは仕方ないんでしょう。
ローラーにテープを巻いたりする延命策もあるようですが、とりあえず新品と交換して、使い古したほうでそういう延命策の実験をやってみようと思っています。
ちなみに、裁断機のほうのスペアパーツは激安です(笑)。こちらも念のため買っておきました。
カール ディスクカッター 替刃 K-28
カール 刃カッターマット・DC210用・5枚 M-210
自炊の話題が続いていますが、そもそもなんで自炊をやってるのかといえば、読みたい本をいつでもスマホから呼び出して気軽にどこででも読みたい、という動機(+自宅の本棚を整理したい)からです。
そんななか、先日、本屋で非常に興味深い新刊を発見し、思わず購入しました。
セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱
著:坂爪 真吾
小学館101新書
この本は、ちょっと前に「成人合宿」なる、性経験のない男女を集めてセックスの実習を行なう、という驚きの企画を立ち上げて話題になった非営利団体「ホワイトハンズ」の代表が、自らそのホワイトハンズの理念と活動について語った本です。
(上記合宿については、警察の指導で事実上の中止となったようですが、今回また企画されているとのことです。(下記参照))
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120606-00000011-pseven-soci
購入した本は、いきなり電子化しました。
最近は、スマホでだいたいの本が読めてしまうので、物理的な本を持ち歩くのがちょっと億劫になっています。
ちなみに、私は電子書籍の読者は、Androidの「Perfect Viewer」というコミックリーダーを使っています。
↑Perfect Viewerの本棚画面。真ん中に今回の本があります。
下のほうには、「テルマエ・ロマエ」もありますねー(^^)
↑本を選ぶと、こんな感じで全面表示になります。
↑実際のテキストの感じをアップしてみました。クリックで拡大します。
十分に普通の本と同じ感覚・解像感で読めることがお分かりいただけると思います。
(ただし、私が使っているGalaxy SIIは、HD解像度の4.7インチという大きめの画面ではあります)
こんな感じで、物理的な本の制約から解放されて、いつでも好きな時間にスマホ1台でたくさんの本を読むことができます。
今回のこの本も、今日の買い物の帰りの電車の中で大部分を読み進めました。
たぶん、「本」だったら、持ち運んでいなかったのでそこでは読む機会を逸していたと思います。
ですので、私にとって本の電子化は、「生活のなかの読書のチャンスを最大限に活用するための切り札」になっているわけです。
さて、肝心の本の中身について。ここからブックレビューです。
この本は、これまでの「社会における性」を徹底的に相対化し、そのうえで、「新しい『社会における性』」を再定義しよう、という、まさに「尋常ならざる情熱」に満ち溢れた、ある意味「とんでもない本」です。
本書のなかには、「ベーシック・セックス」というキーワードが頻繁に登場します。
私は当然に、このことばを「ベーシック・インカム」からのアナロジーで理解しました。
つまり、「ベーシック・インカム」という考え方が、「すべての人に、健康で文化的な最低限の生活ができるような収入(インカム)を提供しよう」という、「社会における財の配分についての考え方」であるのと同様に、本書がいう「ベーシック・セックス」とは、「すべての人に、健康で文化的な最低限の『性』生活ができるようなシステムを提供しよう」という、「社会における『性』の配分についての考え方」だ、ということです。
著者は、東大の上野千鶴子ゼミで歌舞伎町の風俗ビジネスを研究したことをきっかけに、日本の現代社会における「性」が、自由恋愛と風俗ビジネスという両極端にしか存在しておらず、前者の枠組みからあぶれた人を後者が食い物にしている構造に強い疑問を感じます。
つまり、性欲というのは、食欲や睡眠欲などと同じく、人間のあたりまえで根源的な欲求であるにもかかわらず、「自由恋愛」という弱肉強食、強者と弱者がはっきり分けられてしまう世界にしか「正当なもの」は存在していないことになっていて、そこでの「弱者」には社会から差し伸べられる手がまったくない。それで仕方なく風俗ビジネスを利用することになるが、そっちはある意味「反社会」ということになっていて、極めて不健全な構造となっている。
その結果、「弱者」のQOLを下げる結果になっている。
この「性」における格差、歪み、QOLの問題を「社会」として何とかしていくためには、自由恋愛でも風俗ビジネスでもない、第3の仕組みを作っていくほかないじゃないか…
そう考えて作られたのが、著者の運営する「ホワイトハンズ」という非営利団体だということです。(ちなみに、本来はNPO法人になるつもりだったものの、行政から再三「社会通念に反する」という理由で突っぱねられ続けて、いまだにNPO法人にはなれていないということです。この辺りの行政との攻防についても本書で書かれています)
こう考えていくと、ホワイトハンズが最初に手がけた事業が「射精介助」であったことは納得のいくことですし、その次に、対象を障害ある人から、「自由恋愛市場でうまくいかずに性経験はないが、風俗ビジネスを選択することにも割り切れなさを感じる若者」を対象とした、「成人合宿」にチャレンジしたことも、同じ理念の延長線上にある自然なものであることが理解できます。
この本、後半にいくにしたがって、「障害者の性」という問題から、だんだん「一般の人・社会の『セックス・リテラシー』を高め、すべての人が等しく『性』についてのQOLを高め、維持するためにはどうしたらいいか」という、より広範な問題がとりあげられていきます。
議論が一般化するにしたがって、同意できる部分、ちょっと首をかしげる部分が併存してくる感じですが、少なくとも「障害者の性」という限定された議論の部分についていえば、正しいことを言っているのは、ホワイトハンズに反対している人たちよりも、著者のほうだろう、と明確に感じます。
いつも思うのですが、障害ある人にとってのさまざまな問題を、乱暴に「健常者からみて障害者はこうあるべきだ」という観点から断じるのは、実際のところ問題をなにも掘り下げられないでしょう。
特に、性の問題については、まさにホワイトハンズが問題提起しているように「障害者にとっての性にかかる社会」というものはまったく存在しませんから、「障害者の性」イコール、「健常者をとりまく性にかかる社会(つまり自由恋愛と風俗ビジネス)に、障害者はどんな風に入ってくるか」という議論しか、ほぼなされたことがありません。
でも、それでいいんでしょうか。
この本が提起しているとおり、「健常者にとっての性にかかる社会」そのものが、ものすごく不健全で歪んだ構造をしているのに、社会への適応に困難をかかえる障害ある人にも、その歪んだものを押し付けて、やれうまくいかないとか入ってくるべきじゃないとか隠しておくべきだとか、そういう議論をしていていいんでしょうか。
そうではなくて、「障害ある人を支える、新しい性にかかる社会の仕組み」って考えられないんだろうか。
そういう立ち位置からこの問題を考えることも必要なんじゃないだろうか、と思います。
もちろん、そんなものが簡単にできるとは到底思われません。
でも、だからといって、「考えない」=思考停止していい問題では、絶対にないと思うのです。
私はこの本を読んで、これからは、この「ホワイトハンズ」という団体から目が離せないな、と思いました。
刺激に満ちた本ですので、「障害者と性」という問題(あるいは「現代社会における性」)に関心のある、方にはぜひ読んでいただきたい本です。
2012年06月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください
この記事へのトラックバック